歴史History

ふぐ料理の本場・大阪で、
1951 年創業の「たてもと」が見てきた歴史。

西成の天下茶屋に店を構える、老舗ふぐ料理店「たてもと」。
日本のふぐ食文化の発展とともに歴史を重ねてきた当店が、ふぐと大阪の関係をご紹介します。

天下の台所・大阪は、
ふぐが日本一集まる場所だった。

江戸時代より物流の中心地として「天下の台所」と呼ばれた大阪。
ふぐといえば今でこそ下関が有名ですが、1940~50年代当時は現地に競り市場がなかったため、水揚げされたふぐはほぼ全て大阪に集められていました。なかでも、黒門市場内にある仲買の店がふぐの取扱い「日本一」だとうたわれました。大阪にふぐの需要があったこと、繊細で身が弱りやすいふぐの輸送の限界が関西だったことから、「
ふぐ料理といえば大阪」という名声を誇るようになりました。
当時の黒門市場の名物といえば、ふぐのトロ箱を積み上げた自転車が行き交う活気ある風景。今でも大阪には全国で水揚げされたふぐの6割が集まるといわれています。

当店のこだわり

Characteristics of our restaurant

天然ふぐ料理店で賑わった西成。

当店「活ふぐ料理たてもと」は1951年に西成区で創業。今もこの地で暖簾を守り続けている老舗です。
「なぜ心斎橋や難波、梅田などの飲食店が立ち並ぶ都心ではなく、西成に店を構えているのか?」とよくお客さまから尋ねられるのですが、これには2つの理由があります。
まずひとつは、当店が創業した当時の西成は、歓楽街として非常に賑わっていた地域であったこと。
人をもてなす料理としてはもちろん、賭場での勝利を祝う料理としてもふぐは人気があり、この時期の西成にはふぐ料理店が多く立ち並んでいたのです。

2つ目の理由は、西成がふぐが集まる黒門市場から近いという地の利です。
もちろん難波や心斎橋の方が近いのですが、西成より歴史が古い街であるため、店賃が割高である難点がありました。当時は今と違い、養殖ふぐがありませんから夏場は営業できません。無駄な店賃を払うことを嫌い、多くのふぐ料理店が西成に店を構えたのです。時代は移り一年中ふぐを楽しめるようになりましたが、西成に残る老舗ふぐ料理店はあくまで「天然ふぐ」にこだわり季節限定の営業スタイルを貫いています。

東京でふぐを食べると高い理由。

東京でももちろん美味しいふぐは食べれます。
しかし大阪に比べ割高なのが東京のふぐ料理。店によっては倍近く値段が違うこともあります。一体何が違うのでしょう。ふぐの質や料理人の腕の違い? いいえ、値段の差は単純に輸送と仕入れのコストの差からきています。
東京のふぐ料理店は、下関での競りを経由してふぐを仕入れる場合でも、ふぐは繊細な魚なため、下関から東京への輸送途中に下手をすると何割かが死んでしまいます。そのため、生きたふぐのみを販売するにしても、価格が高く設定せざるを得ない。だから、きちんとした天然ふぐ専門料理店ほど値段が高くなってしまうんですね。

昔からふぐが集まる大阪では、新鮮なふぐを直接仕入れることが可能。しかも、全てのふぐをさばききるシステムが出来上がっており、最高級の活け天然とらふぐから、養殖ふぐ、とらふぐ以外のふぐに至るまで、色んな店舗のニーズに合わせて、また一般の消費者にまでふぐを販売できるようになっています。それゆえ当店では生きのいい最高の天然とらふぐだけをいいとこどりすることが出来ます。

ふぐ好きの方が、新幹線や飛行機に乗ってでも大阪にふぐを食べに来る理由はこんなところにもあるのです。

美味しいふぐを食べたいなら
生簀からの直捌きはご法度です。

生簀で泳いでいた魚をその場で捌いて美味しくいただくのは、海産物に恵まれた日本ならではの食の楽しみ方です。
ですが、ふぐに関しては、生簀からの捌きたては美味しくないというのが専門店の常識。
水気の多いふぐは、捌いてから時間を置いて熟成させることで、身が引き締まり旨さが増すのです。

熟成したふぐのてっさは、ほのかに飴色に輝きます。
箸を取る前に、まずは皿の美しさに眼福を。